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zoom RSS 私を殺す権利はあるが 私を裁く権利はない

<<   作成日時 : 2009/10/21 00:59   >>

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地獄の黙示録 特別完全版 [DVD]
角川エンタテインメント
2009-07-17

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「地獄の黙示録」見ました。
村上春樹作品に影響を与えているというのをどこかで読んだので。


予想以上の衝撃を与えてくれましたよ。

「なにか強烈な観念が人間を覆い隠そうとしている。」

そんな気分。

劇場版エウレカセブンが見たくなりました。
こんな世界でも生きていく決意をした人が描かれているから。
でも、これは。。

どちらかというと、僕は今、地獄の黙示録側に立っているのかもしれません。
日々を生きていく中で感じざる得ない、行き場のない憤りや
思い描く世界が、おバカさんが見る夢物語に過ぎない現実に
なかなか肯定的なものを見出せていないかもしれない。

だから好きなんだろうなぁ〜エウレカセブン(笑)



「人間として、心の内で、心の奥底で、つまり一口に言えば、いや、僕には上手く表現できないけど……僕は高潔さを渇望し、ほかならぬそのことによってこれまでの生涯苦しみ続けてきた。僕は、いわば、高潔さの受難者でした。提灯を下げた、ディオゲネスの提灯を下げた探求者でした。ところが、それにもかかわらず、これまでの人生でやってきたことといえば卑怯なことばかりなんだ、われわれはみんなそうですがね、みなさん……いや、つまり、みんなじゃなく、僕だけです。間違いました、僕だけです、僕だけです!」


またまた「カラマーゾフの兄弟」より。
ズシリときますね。大丈夫だろうかオレ?笑


「高く固い『壁』と、それにぶつかると割れてしまう『卵』があるとしたら、僕は常に卵の側にいる」

村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチより



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BRUTUSがいい特集を組んでます。
そこから引用の引用(笑)

強いですね。とても言えない。




重たいですね(笑)
閑話休題(球題


自身ただいま公式戦20打数連続ぐらいでヒットが出てない。
だが盗塁は5(笑)
走る喜びに満ち溢れて生きています。
チャリンコで鍛えた脚頑張れ。





そのチャリンコですが



最近、こんな感じのガウンカーディガンを着ることが多いんですね。
後ろ紐付いてますよね。
外でお手洗い行くときとかも気使うんですけどね、
チャリこいでるときにね、
チェーンにね、
からまるんですね。
あの時の、やりきれなさといったら・・・


とにかく地獄の黙示録、3時間は長すぎという話でした。

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コメント(15件)

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一般にボードゲームの遊び道具は枠で囲まれている事によって勝敗が決するように出来ている。自分が勝てば相手が負け、相手が勝てば自分が負ける。場合によっては引き分けという事もあるが、とにかくゲームの参加者は勝ちを争い全力を尽くす。

オセロを思い出してほしい。ゲーム終了時、盤上における自分の持ち駒の多い方が勝ち。こちらが白で相手が先攻だとしよう。まず相手はこちらの持ち駒を一つ引っくりかえしてしまう。この時点で盤上にこちらの持ち駒は一つ。だが、ゲームは始まったばかりだ。こちらも新たに駒を置いて相手の駒をひっくりかえす。この遣り取りを繰り返して、互いの駒が次第に盤上を覆っていく間、互いに知力を尽くして自分の持ち駒を増やしていこうとするのだが、相手の方が巧妙だったり、こちらが何かミスを犯してしまったりすると、盤上には黒い駒の方が多くなり、こちらは負けてしまうのではないかと焦り始めるのだ。そしてある時、こちらの負けを確信する。もうだめだ、と諦めてしまう。遂には「まいりました」の一言が出て、相手の勝ちが確定する。相手は喜々として盤上の黒い駒を数え上げていく。
A
2009/10/21 18:09
ところで、枠を取っ払ってしまったらどうなるだろう?そうなれば、ゲームに終わりはなくなってしまうだろう。こちらも相手も興ざめし、どちらもゲームを放棄してしまうかもしれない。けれども、あえて続けるとしたら?こちらが不利な状況に変わりはないが、いまや相手の勝ちは不確定になった訳だ。「何が勝ちか分らない状況でゲームを続けるのは無意味」とゲームを放棄するのも自由だし、放棄したから負けだという決まりがある訳でもないが、それでもあえて続けるとしたらどうなるだろう?

始まりを告げたのは誰だったのか?それは分らない。しかし、自分も相手もゲームを放棄しない限り、確かな事が一つある。終わりを告げるのは絶対に自分であるという事だ。何故なら、こちらは後攻だから。相手が「まだ続ける」と言っても、こちらが後攻であるというルールが決して失われない限り、それはそうなのである。要するに、枠を取っ払う事さえ出来れば、諦めない限り、こちらが負ける事は絶対にないという事である。

では、決着はどのように付くのか?思うに、長い攻防戦を繰り広げた後で、相手が「先攻・後攻の区別を撤廃しよう」と呼びかけるのに対して、こちらがこれを受け入れた時、決着が付くのである。それは勝敗を保留するという決着の付け方である。だが、それは決して引き分けと同じではない。考えなければいけないのは、先攻・後攻の区別を撤廃するとは実際いかなる事かということである。そもそも、白か黒かというのは先攻か後攻かという事によってしか決まらないという事を思い返してほしい。だとすれば、彼の呼びかけを受け入れるというのは白と黒の区別を撤廃するという事に等しい。それはつまり、白と黒が織り成す模様を、それをそれとして互いが認め合うという事である。
A
2009/10/21 18:09
「お前は何が出来るか」と尋ねられた時、即座に「支配する事が出来る」と答えたディオゲネスと同じように、ドストエフスキーの主人公が「僕だけです」と言う時、「僕は後攻だ」と必死に主張しているに過ぎないのではないか?なるほど、後攻なのだから負ける事はないだろう。しかし、それでどうだというのか?昼間に「人間はどこにいる?」と提灯を提げて人の行きかう中を歩いたディオゲネス。彼は単に盲目だっただけなのではないか?さも「卵の側にいない人間」がいるかのような口振りで「卵の側にいる」などと口に出来る文学者。それは単なる弱さ、さもなければ、厭きれる程の強かさに過ぎないのではないか?

出来ればブログは辞めずに続けてほしいと思う。辞めなくてよかったと思う日が必ず来ると思う。僕は時々疑問に思うのだけれど、まだ始めてもいないものを人はどうやって辞める事が出来るのだろうか?これからもぜひ新しいものを読ませてほしい。というか、「A」≠「A´」「B」「C」「D」である限り、僕が読むものは常に新しい。という訳で、気張らず書き続けてほしい。よろしくお願いします
A
2009/10/21 18:13
「僕だけです」と言う時、一度は否定するけど本当は僕だけじゃないことを、これを言う本人自体も、またそれを読む(聞く)読者も分かっているんだと思う。
でも強く主張するのは「僕だけです」
この卑屈さ、盲目を装って自分を卑下する。自分を殺す。
それは自己犠牲の宗教と紙一重ではないか。
なんというか、上手く言葉に出来ませんが、こんなことを考えるのですよ。何が言いたいかというと盲目ではないと思うのです。


卵と壁の話。
確かに、例えば、平和を願わない人間なんていないのかもしれない。
でも、それは卵の側にいることとは到底言えないと思う。
僕はAさんの言ってることを上手く理解できてないかもしれないし、村上春樹さんに対して、今度は「盲目的に」思考を委任(なんだこの日本語w)しているとも思うので、何を言ってるんだとなるかもしれませんが、やっぱりそれは違うと思います。

応援メッセージありがとうございます(笑)
気張ったコメントで返してしまいました(笑)
まあ、これからは更新の頻度週一ぐらいにします(笑)
アーク
2009/10/23 01:36
「生きた社会・イデオロギー的具体性としての、矛盾をはらんだ見解としての言語は、本質的に個人の意識にとっては、自己と他者の境界に存在するものである。言語の中の言葉は、なかば他者のことばである。それが<自分の>言葉となるのは、話者がその言葉の中に自分の志向とアクセントとを住まわせ、言葉を支配し、言葉を自己の意味と表現の志向性に吸収した時である。この収奪の瞬間まで、言葉は中性的で非人格的な言語の中に存在しているのではなく、(なぜなら話者は、言葉を辞書の中から選びだすわけではないのだから!)他者の唇の上に、他者のコンテキストの中に、他者の志向に奉仕して存在している。つまり、言葉は必然的にそこから獲得して、自己のものとしなければならないものなのだ。
A
2009/10/23 07:58
そして、あらゆる言葉を、誰もが同じように、容易に収奪し、自分のものとして獲得できるとは限らない。頑強に抵抗する言葉は多いし、相かわらず他者の言葉にとどまり、その言葉を獲得した話者の唇の上で他者の声を響かせ、その話者のコンテキストの中で同化することができず、そこから脱落してしまう言葉もある。それらの言葉は、いわば自分自身、話者の意志にかかわりなく、自分を括弧の中にくくっているようなものだ。言語とは話者の志向が容易にかつ自由に獲得しうる中性的な媒体ではない。そこにはあまねく他者の志向が住みついている。言語を支配すること、それを自己の志向とアクセントに服従させること、それは困難かつ複雑な過程である。」(バフチン『小説のこ言葉』)
A
2009/10/23 08:06
あ、『小説の言葉』ね(笑)

アークさんの引用から僕は意味を推測して発言してみたのだけれど、実際は捉え損ねていたかもしれない。しかし、それはアークさんの引用の仕方が下手だったからだと思う。引用は誤解を生じるもとにもなるから注意が必要なのだ。もっとも、情報の出所に当たりもせず大層な事を言う僕の方にも問題はあるんだけどね(笑)それはともかく、バフチンからの上記の引用は君にも役立つのではないかと思う。考えてみて、君の思想をさらに発展させてほしい。
A
2009/10/23 08:15
ところで、卵と壁と言えば『プラネテス』のあの回、宮沢賢治の詩が冒頭に引用されたあの回を思い出さずにはいられないではないか。卵の側にいるというのはやはり弱さなのだ。なぜなら彼女は、その愛が彼を捉えたことなど一度としてなかったのに、「その愛」にしがみついて離れまいとするばかりだからだ。彼女が自殺未遂を試みたのは自己犠牲と同じ事ではない。彼女の行為は、宇宙で実験のために死んでいった科学者たちの魂に対する冒瀆ですらある。それが分ってもらえないとなれば「すこしかなしくなった」とでも言うしかないだろう。しかし、そういった科学者の呟きもまた弱さの発露に他ならないのだ。木星から届くハチマキのメッセージを受けて「愛を口にするな」と吐き捨てた科学者もまた、卵を投げつけていたのだ。いや、あの瞬間、彼は高い壁の前でひび割れた卵だったのだ。
A
2009/10/23 08:35
>「盲目的に」思考を委任

日本語がおかしいと考えたようだが十分意味は通じると思うし、新たな思想が自分に胚胎する時、言葉づかいが多少変になるのは仕方ない事だから、そう気にする必要はないだろう。その変な言葉が出回れば国語自体が変質する事もある。これまでも、そしてこれからも、そうして言葉は変遷していくに違いないのだ。
A
2009/10/23 08:43
「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。」(芥川龍之介)
続きはまた後日書きますので、とりあえず今はこれにて!!
アーク
2009/10/24 01:30
「小説の言葉」は面白そうですね。
ただ読むのにとても時間がかかりそうだ…

>実際は捉え損ねていたかもしれない
当然です。
だって僕は、そこまでの労力に適うような力を込めてブログを書いてない。だから、「A′」を「A」に近づける事を求められると申し訳なく思ってしまいます(笑)
日々の出来事を、人に迷惑がかからない程度にぐだぐだ書く、かつては「駄文しかありません」のバナーをかかげていたブログなので、ひとつの記事の中でも話題があっちこっち行ってしまいます。

言いたいことを本気で分かってもらいたい、と言うより、自分へのメモのつもりで引用もしてます。
冷蔵庫に貼る、食材購入リストのようなものです。だから例えば今回引用したのもここ2,3日で読んで気に入った部分をくっつけ合わせたようなものなので、これで自分を分かってもらおうと思うなら本当に大変お粗末だと思います。

こいつ逃げやがったな、と思うかもしれませんが、そんなに意識高くはブログを書いていないのでご勘弁くださいな(笑)
なんというか、なんだかんだで5年もホントに読んでる人がいるのか分からない記事を書き続けてる秘訣でもあるので、思想が発展するかどうかはまあ様子見ということで(笑)
アーク
2009/10/26 01:28
>木星から届くハチマキのメッセージ

あの場面の、ロックスミスと神父さんの会話は、初見のときももちろんそうでしたが、今もまだ理解できてないと思います。
「気安く愛を口にするんじゃねぇ」か。
まずは気安く愛を口に出来る人間になることを目指しましょうかね(笑)
アーク
2009/10/26 01:34
労力を使うというより、むしろ、君はもっと気を抜いて自由に文章を書いてみたらいいと思うんだけどなー。本気であろうがなかろうが、伝わらなければ言葉は失敗していると思う。そもそも、実際に食材を調達・調理する事なく、自分にだけ読める文字で書かれた購入メモを幾重にも冷蔵庫にべたべた張ったって仕方ないじゃないか。「申し訳ない」などと思う必要は全くない。なぜなら、はっきり言って君の書く文章など、少なくとも僕にとっては話の種に過ぎないからだ。しかし、それは君にとっても同じ事ではないか。僕の言っている事など所詮ネタに過ぎないのである。もっと自由に書けるはずなんだよ。理解って何だ?どこかに全知全能の神様みたいな人がいるとして、そいつの答えが全てなのか?愛は全てではない。むしろ些細な事だよ。
A
2009/10/26 11:12
岩波文庫から出てる時枝誠記さんの『国語学原論』もお勧め。バフチンの『小説のことば』と同じように理解に少し手間取るかもしれないけど、面白いものは面白い。君も色々忙しいと思うけど、また時間を作って読んでみてよ。
A
2009/10/26 11:22
気を抜いてブログやってる結果がこれなんですがね…

>そもそも、実際に食材を調達・調理する事なく、自分にだけ読める文字で書かれた購入メモを幾重にも冷蔵庫にべたべた張ったって仕方ないじゃないか。
だから出てきたんでしょうね。「チラシの裏」という言葉が(もう言わないかw

まあ、なんというか今の時点で自由に書いてますし、そういうものだと思っていただけると助かります。

>愛は全てではない。むしろ些細な事だよ。
ただこれには異議ありです(フフフ
まあうんたら言っても仕方がないのでそれでは。いろいろとご指摘ありがとうございました。
アーク
2009/10/27 01:20

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